理事長あいさつ
理事長
生田 匡憲
毎日の食事は、私達の日々生活の中で経験する楽しい行為の一つです。ですが歯が無くなってしまうと楽しいはずの食事で苦痛を感じることになってしまします。
歯を失う大きな原因として、虫歯と歯周病がありますが、虫歯も歯周病も予防できる病気です。当院では皆さんが一生自分の歯で食事できるように、削って治す治療から、なるべく抜かない・削らない、守って管理する予防を重視しております。
地域の皆さんのかかりつけ歯科医院として口腔内環境の向上に貢献したいと考えております。
経歴
- 岩手県出身
- 学生時代は福岡県で過ごす
- 2006年度 福岡歯科大学 卒業
- 福岡で勤務した後埼玉県へ
- 埼玉県蓮田市の歯科医院で勤務
- 2014年10月 イクティス歯科 開業
小学生時代
幼稚園まで女の子の様に育てられ、お人形遊びばかりしていました。しかし小学生になると野球の町だったので少年野球の誘いがたくさん来ました。当時約50名程の大きなチームに入りました。野球を始めると、やっと男の子らしくなっていきました。将来はプロ野球選手になりたいと本気で思っていました。
当時は今で言う体罰も平気でありましたし、水を飲んではいけない等理不尽な事も今となっては良い思いでです。とにかく野球に没頭した6年間でした。
岩手県民の持つ忍耐はここで培われたのかもしれません。
中学生時代
バレーボールとの出会いがありました。中学でも野球と考えていましたが、少年野球時代のある先輩が中学でバレーボールをしていました。その先輩はとにかくかっこよく、ずっと憧れていました。そしてとんでもなくモテていました。
バレーボールをしたらモテるのかな?そしてその先輩についていきたいと思い、バレーボール部に入りました。とてもバレーボール自体が楽しく、のめり込んでいきました。野球の町でしたが、仲間にも恵まれ、県でも指折りの強豪になりました。とにかくバレーボールに明け暮れた3年間でした。
高校時代
高校は、宮沢賢治や石川啄木等文豪を輩出した高校に進学しましたが、私は文系ではなく理数科でした(笑)
とにかく寝て、食べて。。勉強もせずにバレーボールしたり、友達と遊びにいったりと。。中学生の延長で何も考えずにふらふら生活していました。当時は寮のようなところに住んでいて、自由きままな高校生活を送っていました。一人暮らしのため、食事面での苦労が多く、部活中に倒れたこともありました。
将来なりたい職業も無く、親に初めて将来のことを聞かれてあまりに考えていなかったのでなぜか映画監督と答え、両親が困惑していたのを覚えています。医療に関しての関心もまったく無く、将来歯医者になるとは思ってもいませんでした。
大学時代
親戚の勧めもあり、福岡の歯科大学へ入学しましたが、相変わらず医療を目指そう、頑張ろうという意識は無く、バレーボールサークルに入り、仲間と飲みにいくだけのいわゆる意識の低い大学生でした。当然勉強もろくにせずに来たので、いつもぎりぎり留年をかわし、両親をひやひやさせていました。
その一方、九州の福岡という土地がとても気に入り、ずっとここにいたいと思う様になりました。このとき今の妻と出会うことになり、ますます福岡愛が強くなりました。食いもんがうまかですもんね?!
なんとか国家試験も合格し、晴れて歯科医になりましたが、やりたい仕事ではありませんでした。
未だにわかりませんが、タイに行ったとき、タイの芸能人と間違われたのか、どこへ行っても人に囲まれ、サインを求められ、写真を撮られました。一生に1回の芸能人気分を味わいました。タイに詳しい方、私は誰に似ていたのでしょう?
総合病院勤務時代
時代はインプラント全盛期でした。多くの仲間がインプラント科へ行きました。私は何にも興味が薄く、とにかくこの歯科界がどんなものか良く見てみようと思い、総合初診科というとこに希望しました。ちなみに同期の人数は0でした。
しかし、ここで学んだことが多く、他の同期は専門の治療に熱心になり、見学だけでしたが、私は身の丈にあった患者さまの治療をまかされ、1年後にはだいぶ周りより手が動くようになっていました。このとき、何か興味が出ることがあるまで、一心不乱に経験していこうと決め、大学病院より多く経験の積める病院へ行こうと決めました。
勤務医時代
ここで人生の転機がやってきます。大学の先輩に誘われ、埼玉県は蓮田市の病院に勤務することにしました。そこではすべてが最新医療機器で、いままでしていたアナログなことがすべてデジタルになっており、衝撃を受けました。同時にこれからの未来の歯科はこうなるのか!と興味がわいてきました。
とくに矯正や詰め物被せものをコンピューター処理し3Dで構築していくことにとても興味ができ、そういうデジタル化されて、誰にも分かりやすい診療をしていきたいと思うようになりました。
ここでの5年と半年の間に院長先生に多くのことを学び、そして良い師弟関係ができました。今も師匠に学び、少しでも近づけるような歯科医になりたいと思います。
イクティス歯科クリニックを
開業して
なぜここなのか?それはここの土地がキレイで好きでした。雰囲気が落ち着いていて、いつもランニングしているコースでした。開業というよりは、ここに住みたいなと思っていました。偶然今の場所ができたので開業を決意しました。
私は歯科医療は常に進化し、変わり続けてきていると思います。世の中もまたしかりで流動し続けています。私も常に研鑽を積み、変わり続ける医療に対応し、その時代に1番適応する医療を提供したいと思います。
また、地域のコミュニティーとしての場所も兼ねて行きたいと思っています。私は歯科医院も美容室もコンビニも保育園も、その地域で活動しているものはみんな手を取り合い、地域活性していけることが目標です。新参者ですが、根を張れるような歯科医院となっていきたいです。よろしくお願いします。
院長あいさつ
院長
國香 達彦
手を取り合い、地域の笑顔を守る歯科医療を
お口の中について一緒に考え、患者さまが納得する形で治療を進めていきたいと考えています。小さなことでも気になることがありましたらお声がけください!
・出身:岩手県二戸市
・出身校:岩手医科大学
・趣味:サッカー、音楽、旅行
幼少期
常に落ち着きがなくよく怒られて過ごしていました。よく風邪をひく子で高熱も度々ありましたが、そんな状況でも当時流行っていた戦隊モノのOP曲を魘されながら歌うなど、好きなものがあると、とことんハマる性格は大人になっても同じだなと今感じています。
小学校時代
父が抽選で当てた2002年日韓W杯の観戦チケットがきっかけでサッカーに興味を持ち徐々にハマっていきます。小学5年生で友達に誘われたことをきっかけに地元のサッカーチームに入団。
体はとても小さく背の順では常に1番前でしたが、サッカーチームの中でも特に足が早く、FW(フォワード)として1番前で点を取る花形ポジションを任されるようになりました。
中学生時代
完全にハマった私は3年間サッカーをしに学校に通っていました。もちろん休みの日もグランドに行ってサッカー。友達とやるゲームもサッカー。いわゆるサッカー馬鹿でした。
大学時代
実家が歯医者だったこともあり岩手県盛岡市にある岩手医科大学に入学。ずっとサッカーしかして来なかった私は、手先が不器用で頭が良い訳でも無く上手くやって行けるかとても不安でした。ですが心配なんていりませんでした。歯科について学んでいくと、なんと私は今度は歯科にハマっていくのでした。
それからというもの、不器用なはずだった私は細かい作業が大好きになり、歯科の勉強は面白く、ぐんぐん成績が伸びていきます。大学6年間のうち最後の1年は自分の勉強ではなく周りの同級生の勉強を手伝う事に専念しても国家試験合格には絶対の自信があるほどまで成長しました。
イクティス歯科クリニックに
就職してから
僕にとって一番の人生の転機は、ここイクティス歯科に就職が決まってからでした。当時の生田匡憲院長(現︰理事長)の元で診療をするようになってから生田理事長の患者さまやスタッフそのまわりに対する接し方を見て、この人はなんて素晴らしい人なんだと大いに感激しました。
その日から私の中で1番に尊敬している人は生田理事長です。そんな理事長から様々な視点で指導やアドバイスを頂き、今まで自分が考えていたなりたい歯科医師像がより具体的に定まりました。
当院にいらして頂いた患者さまの生活がより豊かになるよう日々精進していきます。
これからもイクティスをよろしくお願いします。
ドクター紹介
副院長・矯正医
江藤 沙織
経歴
- 熊本県出身 九州一筋
- 熊本マリスト学園高校 卒業
- 福岡歯科大学 卒業
- 研修医を経て千葉市の某矯正歯科に勤務
- 千葉市で勤務後、イクティス常勤
- 現在は一児の母。イクティスで働きながら子育てを楽しんでいます♪
所属学会・資格
- 日本矯正歯科学会会員
- 日本成人矯正歯科学会会員
- 日本舌側矯正歯科学会会員
- 日本一般臨床矯正研究会認定医
- 日本全身咬合学会認定医
- 日本アンチエイジング歯科学会認定医
幼少期
4人兄弟の3番目、いつも姉兄の後を追いかけながら遊んでいました。登山が趣味だった父親に連れられて、家族で毎年山登りをして、登頂や下山の順位を兄弟同士で競っていました。ピアノや水泳、バレエなど、色々な習い事も経験させてもらいました。
小学生時代
アトピー性皮膚炎で、食事療法のために一人だけ学校にお弁当を持っていきました。お芋しか食べられない時期もあり、一人だけお弁当を持っていくのが恥ずかしかったのを覚えています。アトピーには、大人になるまで悩まされました。
中学生時代
小学校ではバレーボール部に入っていましたが、中学では新しいことをやってみたいと思い、柔道部に入りました。柔道部は女子の人数が少なく、少し勝つと上の方にいけたので(笑)、楽しく3年間を過ごしました。
高校時代
男女共学になった高校の女子一期生として入学しました。そして運動系ではない吹奏楽部に入部しました。楽器などやったこともない初心者でしたが、なぜか3年生では部長になり、皆をまとめていました。この時に部をまとめることの大変さを学びました。
中学、高校では、部活ばかりで勉強をほとんどせず、親を困らせていました。一応理系のクラスに進みましたが、将来を考えた時に特にこれといってなりたいものがなく、祖父や父親が歯科医師で、姉兄も歯科大学に進学していたので、私も歯科大学を受験しました。
大学時代
やっとの思いで入った大学でも、バレーボール部に入り、勉強をしない日々が続きます。お酒の味を覚え、部活をしては飲みに行き、楽しい大学生活を送りました。大学3、4年生の時に受けた矯正科の授業や実習で、矯正科に興味を持ちます。それから少しずつ勉強を頑張りました。将来は矯正科に進みたい、と思うようになります。
大学卒業後
無事に国家試験に合格して歯科医師となり、今の主人が関東に出てきていたこともあって関東で研修先を探しました。千葉市で子どもの矯正(咬合誘導)を行なっている歯科医院を見つけたので、研修終了後にすぐに引っ越し勤務を始めました。とても勉強熱心な院長先生で、多くのことを教えていただき、ここで矯正の基礎を学びました。
イクティス歯科クリニックが開業し、千葉の歯科医院に勤務しながらイクティス非常勤を続けていましたが、子どもが出来たため千葉の歯科医院を退職し埼玉に引っ越しました。現在は子育てをしながら、多くの人に支えられながら勤務を続けることが出来ています。この環境に感謝しています。
子どもが生まれたことで、親の気持ちが少しだけわかるようになりました。今まで好きだった子どもの患者さまが、もっと大好きになり、来院してくれる子どもたちに会えるのが毎日楽しみです。小さい頃から定期検診で通ってもらえれば、健康で虫歯のないお口を維持することができます。そんな方であふれる医院を作るのが私の目標です。
イクティスはお口の悩みだけでなく、子育てや色々なことをお話できるアットホームなクリニックです。みなさまとの一期一会を大切に、痛くない、怖くない、安心して通っていただける心地の良い場所になれるよう、努力します!
外来・訪問歯科医 野々村
口腔外科医 柏俣
訪問歯科医 赤羽
訪問歯科医 土屋
訪問歯科医 本間
訪問歯科医 田丸
スタッフ紹介
歯科衛生士
私たちがお口の健康つくりのお手伝いをさせていただきます。お一人おひとりの生活習慣などに合わせたメンテナンスのご提案と心地よいケアに努めます!
小川
埼玉歯科衛生専門学校
藤原
東京歯科衛生専門学校
井戸
日本歯科大学東京短期大学
新橋
新東京歯科衛生士学校
※訪問歯科兼任
折居
岩手医科大学医療専門学校
辻村
大阪歯科大学歯科衛生士
専門学校
蔵田
高坂
後藤
歯科技工士
私たちがお口の中の被せ物などをお作りします。皆さまのお口の健康の回復のお手伝いをさせていただけるように努めます!
原田
埼玉歯科技工専門学校
森川
埼玉歯科技工専門学校
受付/
トリートメントコーディネーター
私たちが診療のサポートをさせていただきます。お口に関する疑問や不安など些細なことでもお声がけください。皆さまが安心して笑顔で通っていただけるよう努めます!
海老原
小川
栗原
※訪問歯科兼任